宇多田ヒカル談義 ぼくはくま

 

ぼくが宇多田ヒカルを好きなのは、大体の人がわかってるわけで、それは才能だったり歌い方だったりもちろん曲だったりもするわけですが、人間性も大好きなわけです。

人間性と歌い方は結構関係性あるだろとか、会ってもないくせに言うなとか、そういうことは置いておいて。

 

 

ぼくはくまって歌があります。NHKが生んだ奇跡です。月のワルツとあわせて。

この頃山田吉田だったか吉田山田だったかがヒットしましたが、天地です。

現地に行ってコメンテターに感想言わせたみたいな歌詞でした。小3の作文かよ。子供が聞く歌ってのは、なんとなーく子供の頃から聞いてて大人になってやっと良さや意味に気づく、それでいいんじゃないのか。なんでそういうことしちゃうんだ。憤り

 


で、ぼくはくまです。

 

 

ぼくはくま くま くま くま 車じゃないよ くま くま くま
歩けないけど踊れるよ     しゃべれないけど歌えるよ
ぼくはくま くま くま くま

ぼくはくま くま くま くま けんかはやだよ くま くま くま
ライバルは海老フライだよ   ゼンセはきっとチョコレート
ぼくはくま くま くま くま

ぼくはくま くま くま くま 冬は眠いよ くま くま くま
夜は「おやすみ、まくらさん」 朝は「おはよう、まくらさん」
ぼくはくま くま くま くま

夜は「おやすみ、まくらさん」 朝は「おはよう、まくらさん」
ぼくはくま 九九 くま
ママ くま くま

 

 

どう感じるかは自由で、歌詞解釈なんてこれ以上に不毛なこともないんですけど。
いっつもこれを聞くと、ちっさい女の子がくまのぬいぐるみを抱きながら、人形遊びをしながら、両親のケンカが終わるのを待ってる、そういう絵が浮かびます。
女の子はくまを歩かせないで踊らせる、喋らせるより歌わせる。きっとエビフライが嫌いでチョコレートが好きな女の子で、くまをまくらにして寝るわけです。
さいごにママ、やっぱり人形と遊んでても、寂しい。
宇多田本人の過去もすこし顔を覗かせてます。やっぱ悲しかったよな、ヒッキー。

 

 

この歌の良さは、気づかないところと、気づけるところです。
普通の小学生が聴いても気づきません。だけど、もし同じような状況の子供がいたら、たぶん歌を聴いてすぐ理解します。ああ、このうたはぼくの歌かもしれないと。

ぼくは宇多田のこういう女神みたいな優しさと、それをそっとしか渡せないシャイさがだいすきなわけです。