コピーライティング騒動を受けて ~名文委員会~

 

名文委員会

 

文委員会に一つ珍客が現れて、今まで開闢以来世の名文を審査してきた男たちを、ウンウンと唸らせた。なにせこれは、いままでに比べエシカルな問題を多く含んでいるように思えた。名文を持ち寄った男は、こう言った。

る朝に私が、やや、今日は陽気だ冬とは思えぬ、ということで本を三、四ほど抱えまして、それから近くの公園にまあふらりと出たところでございます。
私は近くで買った昼飯と、なんやかんやを持ってあたふたとしておりますれば、ブオオと大きく風が吹きます。昼飯をこぼすわけにはいかんと私はそればかり考えていたところ、抱えていた本の背がハラリハラリ解け始め、ついにはバラバラになってしまう。これはいかんと私が昼飯をおいてあつめようとしたところ、また別の本がハラリ。
抱えた本がバラバラになってしまった私は、仕方なし、一枚一枚を拾い集め、とりあえずベンチまで向かいます。そうして、どれ整理をしようとページを確認していたところ、文章に引き込まれてしまって、思わず次のページをめくりました。めくるといっても分厚い紙の束、次のページは関係のない別の作家のもの。わかっていましたが少し目で追うと、面白いほど文がつながるのでございます。そしてまた、それが美しい。流れのまま変化する文に目はつらつらと文字を追い、心はむんずと掴まれました。わたしはそうやって、ついに最後まで、本とも言えないこれを読んでしまったのです。

文委員会は困った。各人、それを読んでみたが、確かに名文だ。だがどうにも腑に落ちない。そこである人が声を上げた。
「要するに、本というのは、人の心ではないのですかね。なにかを生み出したい心が、本を本足らしめているのです。つまるところ、人の心が宿っていないこれは、本ではない。私はこれを、名文とは認めない。」
何人かがオオと声を上げた。賛成のようである。
すると、また一人が声を上げた。
「待ってくれ、ではこの物語、皆読んだであろう。感動したのではないか。全体性として、本ではなくとも、一つ一つの文字には作家が丹念に紡いだ言葉が残っており、人の心は確かにあるのではないか。」
オオとまた声が上がった、賛成のようである。
すると、また奥のあたりから声がする。
「まてまて、人の心だとか、そういうものは、文章それには関係なかろう。文章が素晴らしい、それで十分ではないかね」

よいよもって白熱してきたこの論議は、クローン技術やら、心の所在やら、自分のありかやらあらゆる倫理に飛び火しながら、三夜続いた。
そうして、ついにこう言うものが現れた。
「ええと、ぼくは、偶然文を成した彼に賛辞を送りたいわけです。というもの、彼がもし、一冊違う本を抱えて、または一冊本を持たないで、ページに目を通さなかったら、この文はできていないわけです。ものすごい偶然を生んだのは、彼の感受性の賜物ではないのでしょうか」
「だが、感受性の一流など腐るほどいる、そして彼は文を作ったわけではないのだ。」
「だけれど、一つとしたのは彼でしょう、彼は、素晴らしい。」

よくわからない話だが、一同閉口して納得してしまう。これにて納得、この文は名文であると、委員長がガベルを叩いて終わろうとした。その瞬間である。
この文を委員会に持ち寄った彼が言うのだ。
「ええと、それなら私はなにかもらえるんでしょうか!?名文は私から生まれたわけでありますから、当然なにかしらは、いただけるんでしょう」

 

「この文は名文などではない」
一時間後には、そういう結論でまとまった。