Remember me

  いつからか僕は、rememberでしか物事を語れなくなってしまった。望郷、旧懐、ノスタルジア
 僕が好きな作品はいつだって回想形式だ。回想には、懐古にはどうしようもならない酸っぱいレモンのような清々しさと、泡になって弾ける物悲しさが同居する。最近NANAをはじめて読んだけれども、良かった。映画NANAでの一曲中島美嘉のGLAMOROUS SKYは昔からいい曲だなあとカラオケで女の子が歌うのをみて思っていたが、漫画をみて深化した。とにかく、今は亡き思い出たち。

あの虹を渡って あの朝に帰りたい あの夢を並べて 二人歩いたGLAMOROUS DAYS

 矢沢あい(曲の作詞者であり漫画NANAの原作者でもある)は、間違いなくこのノスタルジアを狙って作り出しているし、多分僕と同じ感覚を持っているのだと思う、という言い方はおこがましいけれど。

 

 ずっとまえにこのブログでも書いたろうか、「留学して、おきなさんなんか足元にも及ばなくなって帰ってきます 」と宣言して泣かせてくれた女の子がカナダから帰ってきた。この間久しぶりに遊んだが、すこし太ったねと言うと「そうなんですよ、カナダってほんとに何もないから太りやすくて 」と快活に笑った。随分明るくなったなと僕は思った。

okinakya.hatenadiary.jp
 彼女とはとても気があう。主に過去について。彼女もかなり悔恨的なところがあって、よくそれについて話し合う。いつから僕たちはこうなったんだろうねと。
 とはいえ、そこに至るまでの発想はぜんぜん違って、僕は過去に戻りたいと思ったことは多いけれど、過去に戻って何かを変えたいと考えたことはない。彼女は逆だ、あのときああしていればよかった、あのときもっとちゃんと言っていればよかった。そんなことばっかり話して、僕はそれを聞く。
 僕は生まれついてのノスタルジアというものを信じている。つまりは、「人間は生まれついたそのときから過去に戻りたい」という論法を割と信用して扱っている。例えばだけど、芥川龍之介の『河童』では、河童は生まれてこようという自らの意思で生まれる。自己決定権ーー生まれたいか?という母の問いにYesと言うかどうか、が生まれる前からすでにあるということだ。人間にはそのようなものはもちろんないし、日本人である以上神の意思のもと生まれることなんてできない。不条理を持って僕らは生きるし、だからこそ「生まれついたそのときから過去に戻りたい」という感情は成立しうるだろうと論法を繋げることは可能ではないだろうか。死にたいとはちょっと違う、存在だけの希薄さを求めているのだろう。
 つまりは彼女は現実的で、僕はドリーマーなのだ。彼女は戻りたいれっきとした過去があり、僕はいまを生きたくないだけ。彼女はいつだって過去から未来を学ぼうとしている。僕はただ夢想するだけ。「おきなさんは野心がなさすぎる」と言われた。その通りかもしれない。それだけの話。