消極的有神論の話(場合分けの暴力)


「神の所在について」なんていう質問をされたら、究極的にそこには二通りの答えしか求められていない。神はいるのかorいないのか。存在するのかしていないのか。
 
 ただし日本人というのは断定がへたくそである。先週から今日にかけてまで友人にこの質問をしてみたのだが、
「神様がいるのかはわからないが、いて欲しいとは思う」
「いないと思うがあらうる自然的な現象に名前をつけるなら、それは神様だろう」
「いたとするなら人間の暮らしはもっと豊かなはずだ」
「いると思うと勇気がわくので、いると信じている」
と、このようなふわふわした返答がつづいた。

 私はこの結果を踏まえ、人の中の神の所在を4パターンに分類することに決めた。いるorいないではラチが明かず面白くもなんともない。
 そこで今回はあるorいないをどんな心的状態で判断をしているかでさらに分けた。次の通り。
 
①自分の中に具体的に神の姿があり、存在を信じる積極的有神論者
②特に祈る対象があるわけではないが、存在を否定することはしない消極的有神論者
③神はいないと断定でき、否定することを厭わない積極的無神論
④神という感覚そのものが希薄であり、神自体の存在の行方がない消極的無神論
の4パターンだ。
 冒頭の友人の返答をもう一度見ていただいてもわかるが、日本人の多くは消極的有神論者or消極的無神論者に該当するだろうと思われる。ごく少数の3番が存在するだろうが、それはおそらく1番と同じぐらい少ない。


 とここまで書き止めておいたのですがもっと簡潔で分かりやすく、資料もしっかりしているサイトがあったので貼っておきます……。現実は無情……。

神的な何かを重んじるが神そのものの存在はよくわからないというのは面白いですね。おおよそ思い描いていたとおりの結果でした。

http://diamond.jp/articles/-/97616