冷めたコーヒーへの解答 イチ 「冷めた味について」

(書こうとしてうまくいかなかった文章と時間に愛を込めて)

 

 コーヒーという飲み物は僕にとって、明確に始まりと終わりが存在する飲み物になった。豆を挽き、お湯を沸かし、少し冷まし、フィルターを濡らして、豆を蒸らして、時間をかけて何投か注ぐ。そういうことを、繰り返しているうちに。

  繰り返して慣れるまで、僕のコーヒーは他の人と比べてはるかにおいしくなく、うまく注げないのは致命的だった。一定の量の水をコーヒーポットから注ぐのは思う何倍も難しい。注ぐにつれて中に入っている水は少なくなって、そうすると淹れ方の角度も変わってくる。勢いよく注ぐと雑味がでて不味くなり、じっくり時間をかけすぎてもいらない味が出てくる。手が震えて狙う場所がずれる。ハリオのv60は台形型に比べてかなり繊細で、むずかしいだけかもしれないと思った。

 そうやってすべてを慎重に慎重にクリアして淹れたコーヒーですら、冷めると悲しい味になるのだ。だから、始まりと終わりを感じてしまう。

 

①「冷めた味について」

 冷めたコーヒーが美味しくないといってもコーヒーが冷めていくのは魅力的だ。90度で淹れたとして、少しずつ温度が下がっていくにつれて変化していく味を感じることは、とても心を開かないとできないけれど、上手にこなせば1日が満たされる。

 使っている豆はフレンチローストなので、一口目には甘さを感じたりもできる(もちろん上手に淹れられたらの話)。コーヒーだって、甘いのだ。ビターチョコレートのような甘み……とよく称されている。なめらかだから、主張してくるのは熱さ、柔らかさ、苦味、そしてハッとするある種の甘み。たまに当たる美味しい喫茶店での、そんな瞬間はたまらない。(どうでもよいけど最近は原宿のアンセーヌダンクルというお店がたまらなく好きだった、喫茶店特有のネルドリップだからか味のまろやかさといったら!たまらない)僕はサードウェーブ系のコーヒーより喫茶店の方がいくらか好みが多い。飲んで、どういうこと…?と思わずカップの中をマジマジ見つめてしまう。たしかに甘い……、そうして、ガラスの靴を履いたシンデレラみたいな気持ちになる。このコーヒーは本当に甘いのだろうか?いつまでこのコーヒーは甘くいられるのだろうか。僕の感じた全ては、嘘じゃないだろうか?

  3分ぐらいたつと酸味が前に出てきて、味にキレが出る。酸味、むつかしい言葉。酸っぱさ?いちおうラズベリーのような酸味と口にはしているけど、コーヒーを全く関係のないほかの食べ物にに例えつづけるのは、あまりにナンセンスだと思ったりもする。タンバリンのようなさわがしさ……!とかであったら、まだ納得もできたんだけれど。

 ここらへんの味の変化は、飲んでいて楽しいもので、時間が進んでいく優雅さ、そのなかで自分が取り残されていく浮遊感……らしきものを上手に味わうことができる。存在だけがここにあって、時間が上手に進んでいく。

 それより先、六分ほど経つと、味は下降に向かう。渋さだったり過度の酸化が起こりはじめる。悪い苦味が残り、温度がどんどん下がっていく、温かい、ぬるい、そうして冷める。冷めたときに気づく、いつのまにか魔法の時間は終わっていた、と。これ以上は、一杯のコーヒーでどんなに長い時間を過ごしたとしても、大切なものが逃げていくだけに終わるはずだ。僕はこの時間を居座りの限界時間と呼んでいる。時間が過ぎ去り、自分はどんどん置いていかれる。取り残された独りぼっちの君は、なんにもなくて、思わず立ち竦んでしまう。シトシトとした感情だけは、ずうっと残っている。

 

→次章 「冷めないようにすること」 いつかうまく言葉にできたら。