Twice Sanaのpostと日本の僕たちについて

 

 

通常の業務を変更して、twiceのsanaについて書きます。

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4/31日、twice公式のInstagramでsanaが書いた言葉は、彼女の小さな喜びや慈しみとは無関係に、大きすぎるところまで広がっています。

成生まれとして、平成が終わるのはどことなくさみしいけど、平成お疲れ様でした!!!
令和という新しいスタートに向けて、平成最後の今日はスッキリした1日にしましょう!

 sanaと日本人と僕たち

 なぜこんな見出しをつけているかというと、この記事に来るような人たちはすくなくとも今回の出来事についてある程度の知識と一般教養と良心を持っていると理解しているからで、もう一度深くおさらいする気にはなれないからです。あまりにくだらなくて、事件なんて言葉を使いたくもない。彼女のpostは誰が見たってお互いの極右とネットに標的にされただけであるのは明らかだし、それについてsanaは悪くない!!一部の人が言っているだけ!!onceはsanaの味方!!なんて今更コメントすることすらバカらしい。

僕が最も落胆し、今回の記事をあげようと決心した理由は、日本人の対応が悲しいほどに幼稚なところにあります。例えばsanaのInstagramのpostには、こんな日本語のコメントがついていて、かなりの評価を得ています。

韓国の方達がこのコメント欄を利用して日本人である彼女に対しての批判をはじめとし、韓国特有の反日教育から生まれた感情をここぞとばかりに爆発させているのが見受けられます。ここで伝えたいのはそれに対する日本人の反応です。日本のことをボロクソに書いて満足している韓国人がわんさかいる状況であるのにもかかわらず、日本を馬鹿にされたからといって韓国の悪口や批判などを書いて韓国人に対抗してやろうとする日本人があまり見受けられないということに気がつきますか?
韓国人が一人の人間がどれだけ傷つき悲しんでいるのかなど気にもせず日本に対しての感情をこの場を利用して爆発させているのに対して、我々日本人がまずしているのは韓国人に対してのやり返しではありません。それは今回一番心を痛めているであろうサナへの心配です。分かりますか?
これが日本人です。
日本に生まれて良かったです

このコメントは紛れもなくsanaのpostに過剰な反応を見せた人々と同じディレクションで世界を捉えています。

今は擁護派多数だから大丈夫と韓国人は言うけど、全く大丈夫ではない。本質を理解していない。恐ろしいのは、これが天皇即位のお祝いコメントだったら現在進行形で叩かれてたってことです。そもそも皇室というのは2000年以上続いてる由緒正しいもの。元号も合わせて軍国主義の産物なんてとんでもない歪んだ認知だということを理解して欲しい。でないと韓国はまた同じことを繰り返すよ。今収まったからいいというものでは無い。勝手な解釈で根拠もなく人を攻撃するのなら彼女らはもう何も投稿できない。例えば「今日は焼肉を食べました!」という一言ですら炎上する可能性があるからだ。サナさんが人前を怖がるのも当然だよ。いつどこから言いがかりで攻撃されるか分からないんだから。人を批判するなら相応の勉強をして下さい。

 こんなpostは論外でいちいち目くじらをたてる必要すらあると思えないけれど、

サナを炎上の標的にしないで下さい。サナは韓国で活躍しているけど日本の方です。日本人が母国を祝福することがそんなにいけないことなのですか??TWICEが好きです。だからこそみんなに笑顔でいて欲しいんです。泣いた顔は嬉し涙だけで十分なんです。

 例えばこんな根底に隠れた排斥が僕は悲しくて仕方がありません。『日本人』の彼女が『日本』を祝うのはおかしいことか? そんなコメントは、結局海の向こうかこちら側かという基準で物事を見ています。

 

sanaは、そして僕たちは、国籍より前の問題として人を愛するという感覚を持っています。仮にこのpostがダヒョンやジョンヨンやナヨンやチェヨンやジヒョやツウィやテイラースウィフトによって投稿されていたとしても、僕たちはsanaにした対応と同じことをする誠実さを持っていなくてはいけません。テイラースウィフト(という外国人)が日本人のために祝ってくれたという感覚は、すでに排斥を産む火種になっていることをしっかりと理解するべきです。(もちろん祝ってくれたのは嬉しいことですし、日本人ではない人が何かをしてくれるという感覚をもってしまうことも仕方がないことではあります) 

 

僕たちは「日本に詳しくて日本にたまたま住んでいる人」程度の存在であることを理解しなくてはいけません。sanaは(そして我々は)たまたま日本に詳しくて、令和について言及するだけの知識があっただけです。それが今回心の無い誰かによってバカらしいバッシングを受けてしまいました。とても辛く、とても腹立たしいことです。ですが、それに対して人種的な意味を含んでしまう励ましやコメントをしてしまうと、彼女はもっと悲しむかもしれません。僕たちは誰が祝おうが同じように祝福し、ありがとう thank you 감사합니다 と言えるような関係であるはずです。 

さらに、今回の直接的な被害者はsanaですが、そのあとの二次的な被害を被っているのは全く無関係なレッテルを貼られてしまうかもしれない善良な韓国の人々でしょう。僕たち日本人(という言い方をあえてしますが)は被害を全く受けていません。sanaを励ますことこそすれ、「日本人が日本を祝ってなにが悪いのか」と矛をとるのは、あまりに悲しい。 僕は日本が大好きですし、母国という意識を完全に捨て去ることはできないでしょう。けれど僕は、日本と同じように韓国もアメリカも大好きですし、国名をあげることすらこの場ではふさわしくないはずです。

 読んでくれたあなたに、世界の人々に、最高の令和が迎えられることを、心から願っています。

 

そして、twiceについてすこしでも書くなら、彼女たちの新曲Fancyに触れないのはおかしな話ですし、簡単ではあるけれどファンである以上、彼女たちの今回のcome backを喜び、彼女たちの魅力を残しておくほうがはるかに誠実です。興味のない方は飛ばしてください。できれば読んでみてください。

 fancyという新曲


TWICE "FANCY" M/V

TWICE(良い音楽で一度、よいパフォーマンスでもう一度感動を与える)の言葉通り、彼女たちの曲は今まで陽気すぎるほどに陽気で、人を無条件に笑顔にするものが多かったし、僕はそれが好きでした。2018年紅白歌合戦でのBDZだってそうだし、


TWICE「BDZ」Music Video 一番のヒット作かもしれないYes or Yesだってそうでした。

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彼女たちは(プロデュースのどうしようもないものだったとしても)明るすぎるほどの曲調とともにスターダムを駆け上がってきています。

 

今回のFancyを聴いたとき、曲調とダンスに少しの違和感を感じました。訓練されすぎた隊列とセクシーさを押し出したステージは、今考えると紋切り型のtwiceからの脱却への一歩だったように思います。わかりやすく耳馴染みの良い曲調とエレクトロサウンドは健在だけれど、手放しに僕が求めたtwiceではなかったことも事実です。

もちろん1日が経つと、Fancyは僕の耳にくだらないほど簡単に馴染んではいますが、彼女たちの”変化”(をプロデュースしたい人たちの思惑も含めて)はまだ完了していないように感じられてなりません。

2016 : im gonna be a star  2019 : im already a star  (youtubeのコメントより)

twiceも結成されて四年が経とうとしていて、変化はし続けてようやく気がつくことができます。彼女たちは上手に変わり続けることができるでしょうか。