カントリーマアムと消毒液と宇多田ヒカル

カントリーマアムと消毒液と宇多田ヒカル

 

昨日の真夜中は割れるような頭痛だった。雨が降り、パソコンの画面を15時間ほどみて、肩が凝り、という複合的な条件が重なると、半年に一度くらい頭痛がする。

スーパーに行くと店の前に消毒液が置いてある。半数の人はスルーしており、とても嫌な気持ちになる。にも関わらず僕はたまに、老人が多少死ねば日本も超高齢社会からの脱却ができるのかもしれないな、なんて安易なことをかんがえたりする。

ソーシャルディスタンスを守らない老人(これに関しては本当に老人が多い)、マスクをしていない人(いろいろな要因があるのだろう単純にマスクがない人だっている)、馬鹿でかい声でスーパーを駆け回るこども、それを馬鹿でかい声で叱る親。みていると本当にイライラしてきてしまって、よくない。もっと普段の、いつもの日常であれば、僕はそれをみて微笑んだだろう。人間の粗探しをしてしまう自分がいる。

ディスタンスという言葉は僕は宇多田ヒカルで知った。最近はストリーミングで目新しい曲ばかり聴いてしまうのでしばらく聴いていなかったのだけど、夜中の心の隙間を突かれて、泣いてしまった。18の彼女はやっぱり天才で、僕は彼女より大人になった。


宇多田ヒカル - FINAL DISTANCE

 

 

たとえばあの消毒液が本当にアルコールなのかすら僕にはわからないし、もしかすると他人が触ったボトルにベタベタと触っている方が不潔なのかもしれない。スーパーで僕は買い物かごを持ったし、その行為は明らかによろしくない。正解なんて僕たちにはわかりようがない。