生存

f:id:Okinakya:20201002195358j:plain

f:id:Okinakya:20201002195420j:plain

f:id:Okinakya:20201002195434j:plain

 PDFをうんたらかんたらしてみたが、微妙だった。仕方ないので全文を載っけます。

久しぶりに原稿用紙で小説を書いている。といってもこれが公開されるのはブログだろうから、僕はこれからこれをPCで清書することになるのだろうけれど。
紙媒体で物を書きたい、少なくとも一校目は紙を使って文字を出力したい、とずっと思っていた(pcを前にするとブラウジングが止まらなくなってしまうという理由も大いにある)。 文字を打つのではなく、刻んでいく感覚は久しく、楽しいものだ。
原稿用紙を買うのが手間だった、売っていないのだ。百円均一にも近くのスーパーにもなく、歩いて二十分ほどかかる文具店まで買いに出た。もしかすると、小学生の読書感想文なんかは、タイピングだったりするのかしらん。
朝の心が伽藍としていて、小雨が降っていてたのが凶兆だった。服を着替え、エリーゴールディングのラヴミーライクユードゥーを、エンドレスで流し、耳心地のよさにしながれかかる。毒にも薬にもならない簡単な音楽に、甘えていたかった。
消費が目的とされた音楽に、その足早で巨大な流れの中に身を置くと、自分も前進しているような気がしてくる。グラグラと不安定なまま進むことを許されて、過ごせるように思われる。
夜、ランニングをしていると、椎名林檎が歌舞伎町の女王を歌い出して、僕に高校の頃に好き合っていた女の子をゆっくりと想起させた。僕たちはカラオケによく二人で行き、彼女は椎名林檎をよく歌った。やはり黒い髪のショートカットだった。
その頃のことを思い出す。彼女は、東京になんて一度も行ったことがないのに、椎名林檎を好いた。よく整備されてスタンプラリーなんかが開催される歌舞伎町も、本当にクソみたいな池袋も、整形した女しかいない銀座も知らないまま僕たちは曲を歌っていたのだ。けれど、彼女の歌や立ち姿やその精神性は、なかなか様になっていた。そして曲たちは、僕が東京を知ったいまでも、変わらないアニマを持っている。 2020/10/01

 

彼は〇〇年前にこれを書いた。

 

ハーランエリスンを読んだ。

誰だよ、と思った人も表題作を言えば伝わると思う。『世界の中心で愛を叫んだ獣』(THE BEAST THAT SHOUTED LOVE AT THE HERAT OF THE WORLD)の作者である。

 

馬鹿みたいに抽象的な文章で正直退屈だった。意味はわかる。けどSFを読み慣れていない僕にとっては苦痛に近い抽象的表現が続いた。一つのテクストを違う言葉や概念で抽出して新しく作り上げる方法はSFの良さみなので、こればっかりは僕が不勉強なのが悪い。あと原文で読まなかったのが悪い。どうしても文のテンポが固すぎる気がした。

 

掲示板なんかでは「彼は難解だけど40年前にこれを書いたのが凄いんだよね」といったコメントが散見された。新しいことを古い時代にしたから凄い、という意外に訳のわからない論法(コメント)は、文学においては自己優越の塊だと思う。作品に対しての愛がねじ曲がっている。愛があるなら、キチンと絶対的な評価を(少なくとも部分的には)したほうが格好いいし、仮に好きな理由が「〇〇年前にこれを書いたから」だとしたら、僕は坂本龍馬でも好きになったら?と言いたくなる。

 

正直タイミングの問題もある、多分中学生のときに読んだら一生の本だったかも。

終わり、僕は元気です。