消極的有神論の話(場合分けの暴力)


「神の所在について」なんていう質問をされたら、究極的にそこには二通りの答えしか求められていない。神はいるのかorいないのか。存在するのかしていないのか。
 
 ただし日本人というのは断定がへたくそである。先週から今日にかけてまで友人にこの質問をしてみたのだが、
「神様がいるのかはわからないが、いて欲しいとは思う」
「いないと思うがあらうる自然的な現象に名前をつけるなら、それは神様だろう」
「いたとするなら人間の暮らしはもっと豊かなはずだ」
「いると思うと勇気がわくので、いると信じている」
と、このようなふわふわした返答がつづいた。

 私はこの結果を踏まえ、人の中の神の所在を4パターンに分類することに決めた。いるorいないではラチが明かず面白くもなんともない。
 そこで今回はあるorいないをどんな心的状態で判断をしているかでさらに分けた。次の通り。
 
①自分の中に具体的に神の姿があり、存在を信じる積極的有神論者
②特に祈る対象があるわけではないが、存在を否定することはしない消極的有神論者
③神はいないと断定でき、否定することを厭わない積極的無神論
④神という感覚そのものが希薄であり、神自体の存在の行方がない消極的無神論
の4パターンだ。
 冒頭の友人の返答をもう一度見ていただいてもわかるが、日本人の多くは消極的有神論者or消極的無神論者に該当するだろうと思われる。ごく少数の3番が存在するだろうが、それはおそらく1番と同じぐらい少ない。


 とここまで書き止めておいたのですがもっと簡潔で分かりやすく、資料もしっかりしているサイトがあったので貼っておきます……。現実は無情……。

神的な何かを重んじるが神そのものの存在はよくわからないというのは面白いですね。おおよそ思い描いていたとおりの結果でした。

http://diamond.jp/articles/-/97616

 

Remember me

  いつからか僕は、rememberでしか物事を語れなくなってしまった。望郷、旧懐、ノスタルジア
 僕が好きな作品はいつだって回想形式だ。回想には、懐古にはどうしようもならない酸っぱいレモンのような清々しさと、泡になって弾ける物悲しさが同居する。最近NANAをはじめて読んだけれども、良かった。映画NANAでの一曲中島美嘉のGLAMOROUS SKYは昔からいい曲だなあとカラオケで女の子が歌うのをみて思っていたが、漫画をみて深化した。とにかく、今は亡き思い出たち。

あの虹を渡って あの朝に帰りたい あの夢を並べて 二人歩いたGLAMOROUS DAYS

 矢沢あい(曲の作詞者であり漫画NANAの原作者でもある)は、間違いなくこのノスタルジアを狙って作り出しているし、多分僕と同じ感覚を持っているのだと思う、という言い方はおこがましいけれど。

 

 ずっとまえにこのブログでも書いたろうか、「留学して、おきなさんなんか足元にも及ばなくなって帰ってきます 」と宣言して泣かせてくれた女の子がカナダから帰ってきた。この間久しぶりに遊んだが、すこし太ったねと言うと「そうなんですよ、カナダってほんとに何もないから太りやすくて 」と快活に笑った。随分明るくなったなと僕は思った。

okinakya.hatenadiary.jp
 彼女とはとても気があう。主に過去について。彼女もかなり悔恨的なところがあって、よくそれについて話し合う。いつから僕たちはこうなったんだろうねと。
 とはいえ、そこに至るまでの発想はぜんぜん違って、僕は過去に戻りたいと思ったことは多いけれど、過去に戻って何かを変えたいと考えたことはない。彼女は逆だ、あのときああしていればよかった、あのときもっとちゃんと言っていればよかった。そんなことばっかり話して、僕はそれを聞く。
 僕は生まれついてのノスタルジアというものを信じている。つまりは、「人間は生まれついたそのときから過去に戻りたい」という論法を割と信用して扱っている。例えばだけど、芥川龍之介の『河童』では、河童は生まれてこようという自らの意思で生まれる。自己決定権ーー生まれたいか?という母の問いにYesと言うかどうか、が生まれる前からすでにあるということだ。人間にはそのようなものはもちろんないし、日本人である以上神の意思のもと生まれることなんてできない。不条理を持って僕らは生きるし、だからこそ「生まれついたそのときから過去に戻りたい」という感情は成立しうるだろうと論法を繋げることは可能ではないだろうか。死にたいとはちょっと違う、存在だけの希薄さを求めているのだろう。
 つまりは彼女は現実的で、僕はドリーマーなのだ。彼女は戻りたいれっきとした過去があり、僕はいまを生きたくないだけ。彼女はいつだって過去から未来を学ぼうとしている。僕はただ夢想するだけ。「おきなさんは野心がなさすぎる」と言われた。その通りかもしれない。それだけの話。