ノウテンキで、バカ

 

僕にだって、文章を書かずにはいられず、今すぐにペンとルーズリーフが欲しい瞬間が確かに存在していて、それは幸福な時間にとても関係している。よくお決まりのカフェで夕方から夜ギリギリまでを過ごす。その時間は本当によく出来ている。大体の時間の僕は参考書を読み、読書をし、カフェインを摂る。僕はアルコールよりカフェインでエンドルフィンが出るみたいだ、遺伝子に感謝しなくてはならない。

 

深い悲しみや、苦しみを文章に書く人はすごい。そういう意味で、僕はノウテンキでバカなんだとよく思う。幸せなときに書きたくなる。悲しみにいてはぼうっとしてしまう。たまに、というか大抵のすごい人たちがそうであるが、マイナスにピリピリと神経が張って全てのアンテナがぶわあと広がって、それを文章に起こせる起こさずにはいられない人たちがいるようだ。そういうのは感情が読み手に波みたいに押し寄せてくる。すっごいと夜を明かしてしまうやつだ。羨ましい。

僕にだってそりゃたまにはそういう感情に陥るときもある。けれど書こうとするとうまくいかない。僕は悲しいというやつと相性が悪いのだ。ノウテンキで、バカだから。

 

僕が書けるものといえば少しの日常くらいのものだ。本を読んでいると海みたいな幸せに哀しみが流されていくその心象、大切な世界の誰かが今日も幸せだったかなと願えること、それそのものの幸福、調和がとれて余計な音がない1時間。僕はいたって普通の人間すぎて、普通のことがギフトなのだと思う。それだけ。おやすみなさい。