21世紀思想の補足

 

21世紀思想の私的見解 - It's time to get up soon.


 ぼくの頭は悪くて、これは大した研究もされずセンスとノリだけで書かれているということを念頭に入れてください。専門じゃないし、なんの責任も取れません。最低限の文章にするため色々調べたり、もともと興味があって読んだりはしてますけども。責任ないとはいえ最初っから放棄するのはあんまりだから。

 こういう更新はなにかを批判しなきゃいけなくなるのであんまりしたくないです。本当に嫌う部分を口に出したくありません。けれど一度口を開いたからにはやりきります。ぼくはアレですからね、嫌いなひとにも左頬出せますからね、そこらへんわかっといてくださいね。その人全部が嫌いなわけではないんです。
 あとなんでも資本主義に結びつけてて怖いな〜こいつって思われる方もいると思うんですけど、たぶんこれぼくが日本人だからです。日本の社会の闇を見まくってるからそういう風な結論を出すんで例えばドイツなんかはどうなんでしょうね。あやつら休みまくってますし。それもぼくから言わせれば母なるキリストのおかげなんですけど、あいつらはそんなこと考えてませんね、というか考えてなかったです。よくわかりませんね。はあ結局無力、なんだよなあ…。


 じゃあ補足に入ります。「大きな物語の終焉」という話をしました。誰が言ったかとかそういうことは調べれば出てきます。それについてまずは少し。
 近代を現代は内包しているから、結局大きな物語が必要になるのだという帰結をしましたが語弊がある気がしてきて、まず資本主義(近代)についてもう少し持論を述べなきゃと見返して感じました。

 早速な結論ですが、ぼくの中で近代というのは欲望です。馬鹿でかい欲望。それは慎ましく敬虔に生きるとか、今日の紫陽花は綺麗とか、そういう部分から最も遠いなんでも欲しがる欲望。インスタント性もそうです。んで、このなかに「大きな物語」は含まれるんだろうなあと。何日か頭のなかで推敲してそういうことになりました。レコンキスタも大航海も同じ。その中心にいた人は高尚な気持ちを持ってたのかもしれません。でも全体として、大きな侵略や戦争が起こっています。

 結局「現代は小さな物語の集合だが大きな物語が欲しくなる」というのは、近代の賜物というより人間の欲望の産物なんですよね。すごい遠回しな例えをしますと「次に来るサブカル!」みたいなのありますよね、なんか矛盾してませんか。
 人間ってのは仲間を求めるんで、どこかしらで大きくなろうとする欲望があるんですよ。ツイッターで50RTされたらスゴイとか、AKBはアルバムランキングに入れるなとか。本質はそこじゃあないですよね、歌がよくて貴方が買えばそこで終わるものでしょう本当は。小さな物語たちの欲望です。

 だから『近代を現代は内包してるから大きな物語が必要になる』というより『近代は欲求の賜物であり、現代も結局人間は欲求を持っているから大きな物語が必要になる』のほうがぼくの言いたいこととして正しい。前半に話していた原始キリスト時代における資本主義の芽ともすこし被ります。はい終わり。そんなに筋はかわってないとおもうので、許してくださいな。
 ネットワークの幅と機械の発展で欲望の具現化が簡単になった恐怖もあります。欲望どこまでも忠実(大きな物語≒近代)なのは絶対に避けなければいけないけど、それは意思を超えてどんどん拡大される、それに僕たちも気づいている。そのへんも込めて「俯瞰恐怖」という名前をつけていました。


 次です。最後に東洋思想には「無関心性」があるからそればっかなのは危険で『向こうはこちらを学び、こちらは向こうを学ぶ』と悪くないねと結論付けたとき、反論が出ると思ってました。
『おいおい西欧はバカみてえに戦争しまくってんじゃねえか、あいてのことも慮らずによ。これは無関心とどう違うんだよ』と。
 確かにそう。ドイツと日本の例えを出しましたけど、ドイツ人が笑ったからといって戦争したことが許されるわけない。俺が責任取るから戦争していいよ、そんな理論はありえない。

 や、だからこそなんだよなあってのが答えです。
 西欧の悪いところを見るのが非常に大事なんです。近代は確かに悪いことをしました。植民地と、先住民殺したりと、戦争したり。でも学ばなきゃいけないんだよなっていう収まりのいい一般論です。資本主義を抱えている以上長所と短所を理解しておくのはマジで大事なんですよ。それ分かった上で「東洋すごいな〜」はアリなんです。
 たぶん向こうがこっちの哲学を見るときに、無意識にそれを原始キリストに重ねてる部分があります。しかも東洋っていうミステリアスさを保っている。ある種イデアですよ。それによって無理のない改革ができます、キリストが口出しできないんで確執が起こりにくい。僕たちも同じことができるといいですね。
あと詭弁ですが彼らのそれは「無関心」ではなく「理性の暴力」という感じ。ぼくの言いたい日本人的な無関心とはちょっとわけが違います。


 これぐらいです。ごめんね言葉足らずの頭の悪い論理で。自分の出来の悪さが嫌になりますが、精進します。