やんわりとした解答

夜中によくわからない発想がグチャグチャと出てきたのでなすがままにつぶやいていたんですが、いまから頑張って解読してみたいと思います。

 

 

 

 つぶやいていたときはそこまで発想が飛躍しないけれど、これはどちらかというとポスト構造主義に近い。構造を理解してしまった我々に待っていたのは「どうしようもなく停滞」した世界である。世界は変わらないし、変えられない。そして我々はすでにそれを理解してしまっている。

 実存主義についても少々暴論だ。まず外延する実存(他人)に縛られることをサルトルは認めている。認めたうえで自己を新たな場所へ縛りなおすことができるのが人間のあり方と述べられているので、実際問題、実存主義は「どうしようもない停滞に内在」する事、それ自体がありえない。

 ただし、サルトルの時代と現代で大きく違うのが、世界の大きさである。明らかに現在のほうが「手に取れる世界」が広がっている。「どうしようもない停滞に内在している」という感覚は主にここからきている。

 ふと考えてみるとこの視点は「セカイ系」にそっくりである。急にセカイのために戦う事になるあれ。「どうしようもない停滞」はわりとセカイ系のテンプレートな設定だし、「無力な私たちと世界」という構造も似ている。私たち現代人は、だれもが俯瞰恐怖を持っているのだろう、だからこそアニメや漫画では、恐怖を具体的にして敵とし、主人公に感情移入してしまうのかもしれない。

 

 ウーーーーーン、今日はここまでにしよ、なんにも解決してないけども。