結局、ラヴレターなんて書けない。

結局、ラヴレターなんて書けない。


 結局、ラヴレターなんて書けないのは、感情なんて留まりはしないから。どうして彼女が好きだったのか、いまでも好きなのか、あとは思い出とか。書こうとして書こうとして、結局ずっと失敗してしまう。そもそも、いろんな好きがあって、それを文にするのは不可能だろう。円グラフにしたほうがまだわかりやすい。
 難しい。難しさは宙を舞って、僕はそれを眺めている。
 今まで僕は、感情というのは記憶や人に留まるものだと信じていたけど、それは違ったようだ。そして、そうやって考えていくと感情というのはどこに帰属するのかさえも、僕は定かにできていない。物体に属するにしてはあまりにぎこちなく、精神に属するにしては確固としている。
 

 彼女に会ったら、いつも通りに話すだろう。夢をあきらめずにいる彼女は、おそらく方法を間違えていて、僕はいくつか助言をする。たぶん、僕がいたほうがうまくやる。いままでだってそうだったし、誰よりも彼女を分かっている自信はないけど、誰よりも彼女を見てきたのは本当なんだから。
 

 感情は、自分が主体となって他物に帰結していく(主体性こそが真理である)。この事実だけは変えられないように感じる。自分が発したものを感情と名付けているからだ。しかしながら他物がないと感情は発し得ないので、ほかのものに帰結していくはずであり、つまり、全体としての自分が主体となって、”目の前に移る他物”に、帰結していく。

 結局、ラヴレターなんて書けないのは、帰結するのは紙じゃなくて彼女だから。やっぱり今日電話でもしてみよう。彼女の目の前でなら、言いたいことも浮かぶだろう。ラヴレターなんて嘘っぱちなのだ、だって、そこに彼女はいないんだから。
 

 

 

p.s ドロドロの夏本番を迎え、皆様元気にお過ごしでしょうか。というか、元気に過ごしてください。