少女革命ウテナ再放送によせて

 

 

 幾原邦彦の作品を好いたことは少ない。まどろっこしかったり不安定だったり、多義的で面倒臭いからだ。彼の性格と環境をよく表しているように思える。しかし一方で、”最後まで見たくなる”のも事実。俗にいう”切る”ことを厭わない平々凡々としたアニメとは、一線を画す芸術の域に彼はいるのである。

 大雑把に、ウテナセクシュアリティの高さを求め、ピングドラムは家族のあり方を糾弾している。作品は愛という言葉抜きで語ることができない。複雑で奇妙で高邁な結びつきは彼独特のものだろう。なにか含みがありそうで、行動原理は単純な登場人物が多い。細田守(時をかける少女)、大河内一楼(コードギアス)など影響を受けた人物も相当いる、一定のパターンと作風に見て取れる。この二人と庵野を足して3で割って三年山に放置したらうまいこと幾原になりそう。

 いまや彼のような人物は時代柄出て来づらい。目立てる人間というのは貴重だ。全員が目立てるネットの時代では、逆説的に目立たないことを考えなければならない。アニメも漫画も甘くなる。低カロリーで億劫でない、面倒臭くないものが少しづつ流行る。彼はどう考えているのだろう、飽和サブカルチャーを。

 あえて未来の話、僕たちが出来る話をしよう。ネットで適当に生きるのか、一念発起し書を捨て街に出るのか。おそらく、ネットも消えはじめる。70年もすれば、つまらないという風潮になる。その時に「ネットに影響された」世代として価値のある文化物を作れているかどうか、それを公として人目のつく場所に置いているか。カルチャーは知れ渡っていなければ成立しない。コミュニティとカルチャーは別物なのである。”コミュニティの感性をカルチャーにまで知らしめる”こと、これは僕たちにしかできない。