中山敦支という漫画家

 

 

 天才と呼ぶべき人たちにはたくさん出会ってきた。そのたびにため息をつく、ああ…この人は天才だ。中山敦支もその一人だ。僕はこのねじまきカギューを初読した瞬間をいまも覚えている。目が肥えた読者を思わず唸らせる展開、それに見劣りしない画力、完璧なまとまり。おお…これは天才だと舌を巻いた。

ねじまきカギュー(1) (ヤングジャンプコミックス)

 

 天才にもたくさんの種類があって、彼はオールマイティで、なおかつ凝り性で、クレバーといった感覚を作品から受ける。奇才……、そういう呼び方をよくされている。しかし自分に言わせれば、その「奇」なるものは、彼の潤沢な知識、学問への探求、それらたくさんの創作の根底を踏まえた結果生み出せる産物である。彼は現代的な天才だと思う。0から”1”を生み出すことより、出来上がった”1”をとことん見つめて、崩していくことを得意とする。

 だから彼の漫画をどう切り崩せばいいか悩ましい(いまから頑張って書いていくのだが)。確実なのは、屈指のストーリーテラーだということ、そして、ねじまきカギューではその才能が全巻に渡って満遍なく発揮されていることだ。多少なりとも人よりはいろいろなものを読んで、見てきたつもりだが、ここまでの運びを最終巻まで変わることのないペースでされたのは久しぶりだった。
 なぜ彼の作品はこんなにも面白いのか。どこでどうやったらこんなに面白いのか。今回はそれを自分なりに考察をすることにする。
 また、ネタバレを多少を含みはするが、物語の核心に触れる事実は避けて書くことにした。だいたい漫画3巻ぐらいまでの基礎(?)知識だけで済ませるつもりである。これは、 現在氏がヤングジャンプにて新連載を開始し、それによる検索流入が起こりうると考えたからだ。というか、宣伝で書いてる。中山敦支氏最新作『うらたろう』、ヤングジャンプにて絶賛連載中!!!!!!


粗筋 

 都内の私立高校に勤める平凡な新米教師・葱沢鴨(カモ)は、怪物的な女子に追い回される超女難体質が悩みの種。そこへ謎の拳法家・鉤生十兵衛(カギュー)が現れ、「先生を護る為に転校してきた」と宣言する。強くてクールなカギューだが、その正体は中国に引っ越していたカモの幼馴染で、彼のことを一途に愛する純情少女だった。2人の仲を阻む様々な障害に、カモは心優しさと強い信念、カギューは螺旋巻拳と真っ直ぐな愛情で立ち向かっていく。

 
Ⅰ テンプレートをズラすという背景の面白さ

 個人的に、この漫画のキモはしっかりとした『少年ジャンプ』の土台があるところだ。主人公は努力家でだれにも負けずに頑張る子、次々現れる敵に殴り勝っていくストーリー。唯一ズラしてあるのは「主人公がカギューという女の子」その一点のみである。ただ、このズラしを後々まで効かせてきて、あんまりにもうまいのだ。

 アリストレテスが文学の本質はミメーシス(模倣)であると唱えたように、一定の娯楽として発展したあらゆる芸術にはテンプレートが必ず生まれる。ラブコメは最初仲が悪かった方とハッピーエンドを迎えるし、少女漫画はパンをくわえて遅刻遅刻〜って走り、戦うのは男で、女の子は恋をするはずであった。まず、中山敦支はこの『戦いは男、恋は女』をズラすことをはじめた。女の子が先陣を切って戦う漫画なのだ。
 だがこれだけのズラしであったなら他の漫画家がいくらでもやっている行為だ。数え出せばきりがないが、女の子が戦う漫画なんていまや星の数ほど存在する。以前に紹介したセーラームーンしかりキルラキルしかり、女の子が戦うお話だ。また、ズラすというのは別に珍しい行為ではなく、むしろそこが創作物の出発点であったりする。僕が評価したい部分はここを抑えた次の段階。

 

 端的に言えば、彼は主人公カギューに、両性の主人公の性質を同時にやらせた、それがすごいと思うのだ。
 例を挙げると、前述したセーラームーンには修行パートや敵にボコボコにされて精神を折られるような場面はほとんど存在せず、だからこそこの作品は女性に人気がある。作品のメインはあくまで(気付かれないようにはしているが)シンデレラサクセスストーリーだ。逆にキルラキルには男子と恋に落ちる描写が全くのゼロ。ガイナックス(ガイナという名前ではないが)は男子ウケするストーリーを作るのことがほとんどだ。この2作品は、ズラしこそあれど、主要な部分がどちらかははっきりしている。

 

ズラして、さらには、逆転させる
 
 しかし、彼は両方をこなしたのである。主人公カギューは戦えば強いが、意中の先生を前にするとめちゃめちゃ儚くかわいい。この人物像は、少年漫画の主人公と、漫画のヒロインを同時にこなしていると言える。中山氏圧倒的なストーリー構築力がなせる技である。少年漫画の主人公と少年漫画のヒロインを一人の人物で描ききるなんて芸当は考えただけでクラクラするほど難しい。
 さらには少年漫画を少女にシフトさせたことで、その結果として、少年漫画特有の『愛する彼女のために戦うテンプレ主人公』を全く異なった形で体現させたことも驚きだ。これはもうズラしを通りこえて、逆転である。事実もう一人の主人公カモ先生には戦う力がない。先生は優しさと生徒への愛によって、カギューは拳によって状況を打破していく。男は度胸女は愛嬌などという凝り固まった”1”を見つめ直すことによって生まれる天才的な手法である。

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先生を前にすると可愛いカギューたんである

 

ⅱ 愛するという、哲学的なことを問い詰めていく面白さ

 この漫画はそういう背景をもってして、愛というキーワードを哲学的な領域にまで展開していく。
 主人公のカギューは、カモ先生に恋している。それはもう原点からなるプリミティブな恋である。対象であるカモ先生は、女難体質にあり、たくさんの女性から追われる身であるが、カギューがそれに嫉妬したり、だれかを非難するといったことはない。

助けてくれてありがとう…でも…でも何でカモ先生を好きだって言ったあたしのこと憎まないの…?

憎む?なぜ?己(オレ)は嬉しいぞ? そうやってたくさんの人に好かれる先生は誰よりも素敵ってことだろう?だから己嬉しいんだーー(ねじまきカギュー2巻より)

  このように原始的というのか、屈託のない存在であるカギューに『愛とは何か』という永遠のキューをぶつけ、無垢への回帰によって答えさせるというところにも、そんじょそこらの漫画とははっきりと一線を画す面白さがある。これは中山氏が普段から全くの漫画家ではなく、あらゆるクエスチョンに真摯に向き合ってきたからこそなるプロットだろう。絵ばかり上手くて、他に何も興味すら持たなかった人はこんな話書けるはずないのだ。持っている思想がここまで如実に現れる漫画もそうあるまい。

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ⅲ キャラクター造形の面白さ

 カギュー以外にも"解のないエトセトラ"に追っていくキャラクターがドシドシと現れる。キャラクター紹介などは行わないが、どの人物も練りに練って作り込まれているのが見て取れて気持ちがいいぐらいだ。作中で重要な役割を担う二千恵理人だったり、あれだったり、彼だったり。うわ、言いたいけど我慢しよう。
 彼の造形の特徴は、分かりやすさだろう。彼の漫画のキャラクターはどれもキャッチーでわかりやすく描かれている。こういう現代的サブカルな感覚を持たせつつ、それを商業誌のラインまでその完成度を上げている事実が信じられない。どこかで破綻しないものかと穿ってしまうが、破綻しないのだからやはり天才なのだろう。セリフも名言の宝庫である。17巻読了済みの皆様ならおわかりだろうが、あんなに読者を惹きつけて、あんなにちゃんとした名言の数々はなかなか凄まじい。全巻から好きなセリフトップ100でもこなしたいぐらいである。
 


Ⅳ 絵

 最後はやはり絵について書かねばなるまい。彼の絵は正直独特である。デフォルメとパース感覚は漫画を読み慣れていないものにとっては苦痛かもしれないし、見開きやどでかい1ページを使ったものも多く、贔屓目に見ても大衆受けするものではない。けど、これがなんともいえないぐらい彼の持ち味なのだ。画力自体の高さは間違いないし、このイージーな線だけで描かれる圧力というか勢いがたまらない。こればっかりはあなたがその目でみないと始まらないので、ぜひ手に取ろうね。

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最後に
 中山敦支作、『ねじまきカギュー』全17巻、とってもお勧めの漫画である。同氏の新連載『うらたろう』前作『トラウマイスタ』短編集『9速眼球アクティヴスリープ』もあわせてどうぞ。漫画界の将来をすでに担ってる、一押しの作家である。