再始動についての所信表明

 

 

 ブログを閉めてから2ヶ月ほど立つ。僕がブログに書くべきと(勝手に)位置付けている文章は、やはりまだ書けそうにない。なにかを文として表現することは大変難しく、(それでも日々書き連ねることこそ重要なのだが)精神的に参ってしまう。

 

 僕はブログの文章に、完成を求めている。例えば、1998年に書かれたある現代哲学思想についてのHPは、完璧なまでに完成されていた。2005年に書かれたある少女漫画についての考察ページも、ありえないほどの完成度だった。僕はそんな先人たちの、価値あるものを公にする心と熱に感化されてきた。『俺は今から価値ある文章を勝手に書くから、勝手に読め』って感じがたまらんのよなあ。


 僕は彼らのように流麗な思考で水のように文を流すことはできない。それが大変な苦痛になって、ブログを閉めた。こんな見苦しいものを書くなら、意味なんてないじゃあないか…と絶望するのだ。このまえ、僕が憧れていた一人とコンタクトが取れて、いろいろ話していたら、40代だった、ヒエエ、すごい、すごいなあ。40歳まで突き詰めると、漫画の考察ですらあんなに面白くなるのか。というか、そういう人たちが集まって、面白いものはできていくんだよなあ。若者を動かす青春は、案外老けた人たちが作ってる。僕はまだその境地に達せていない。簡潔にいえば、納得させるものを書くための人生経験が、圧倒的に足りてない。どうしても、ブレるのだ。成長といえば聞こえがいいが、まとまってない。そんな文章って、くだらない。

 

 だけども、ここまで話して、とっても勝手なことなのだが、また僕は書きたくなってしまった。だって、いままで読んでくれた誰かしら(いるかどうかは知らないが)に、ものすごく失礼な気がしたのだ。勝手に書いて、勝手に共感して、勝手に消えていった、そんなのズルい!僕はもっと、人類の底辺でいるべきなのだ!心にまとわりつくいけ好かない不思議な奴より、うるさすぎて嫌われる方がまだマシである。『ふ〜ん、こいつまた帰ってきたのか、相変わらずだな、馬鹿な文章書きやがって笑』 上等!そんなのより、あの人いまなにしてるのかな、と胸がつっかえていた誰かを一人笑顔にする方がよほど大事なのだ、そんな人がいても、いなくても。


 よって、これから続く何かは、いわば後日談である。遠い町から手紙が届くような、世界に平和が訪れた後の2クール目25話みたいな、日常回OVAみたいなものである。いやいや、手紙は出したくて出すものだから、僕があなたに何か言い残したことがあるのかもしれない。ちょっとだけ、続くんじゃ。

 

 続けると決めたのなら、方針を決めよう。僕は今回、ブログで精神をすり減らすなんて馬鹿すぎる失敗を二度と起こさないために、今後のブログを書くスタンスを四つの骨子に定めた。


Ⅰ 気に入らなかった文は、迷いなく消す。

 僕は、自分の完成度の低い馬鹿丸出しのかまってちゃんのクソくだらないけど書いちゃった〜的な文が、大嫌い。見返していて、「こいつ死んだ方がマシだな」とか思う、でも結局書いちゃうんだよね、心が弱いから。今回から、もう仕方ねえよそれは、書け書け笑 と自らを認めることとする。その代わり、消す。消して悪いことあるか?実はないんじゃねえの。消されるかもしれないと思って読んだ方が、読者としても面白いだろ。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。手紙は残るから良い、が、LINEで告白するのはあまりにも野暮だ。儚さを出していこうぜ。


Ⅱ 完成だけを、残していく。

 なんども言うが、僕はネットのテキストに、思考の完成を求めている。幼い時から『いやいや、それネットでやる必要ある?本出せよ、金稼げよ!』みたいなすげえテキストをめちゃくちゃ見てきたのだ。そいつらが、お前が来て、見てくれただけで満足だよって感じで生き生きと文を完成させている事実に、震えているのだ。ダイナミックに言ってしまうと、奉仕の心というか、アガペーに惚れてるのだ。僕はネットの文で金なんか稼がない。だって僕も沢山タダで面白いものを読ませてもらったもの。今度はこっちの番だ、覚悟しておけよ、すんげえもの残してったどこにいるのかも知らねえ先人ども。


Ⅲ 嫌いなものを批判しない、好きなものを考察する。

 批判が悪いって言ってるんじゃない。僕の場合、批判をして一番テンションが下がるのは自分自身だから、批判はしない。僕は、本来クリティカルシンキングである。他人を無意識に攻撃してしまう。例えばいまだと、貧困JKについて盛んなご意見たちがありますな。僕も当然意見があるわけですし、とっても一言物申したくなる。けども、物申してしまうと「自分の未熟を棚に上げて、なにをホザいているのだ貴様」とそれに対するクリティカルがはじまって、ありえないぐらい落ち込んじゃうのだ。
だから、嫌いなものについて批判はしない。僕の批判は、何にも生まないのだ。そういうバッシングなんて、完璧で、世の中全てを断罪する権利がありそうな完璧超人がネットにいくらでも転がっているのだから、そいつらに任せておこう。僕は、これから好きなことしか書かない。また、嫌いなものについて書いちゃったら、それで満足して早めに消そう。消せば許されるなんて甘いけど、ちょっとぐらい毒も吐かんと続かなそうだ。


Ⅳ 無理に頻度を上げない。

 読者離れとかどうでもいい。面白い場所が過疎るなんてありえない。だれかかしらが見るはずなのだ。僕がそうであったように。だから、仮にもし僕の文を待っている人がいるとしたら(いるかどうかは知らないが)、長く待たせるぜ、すまんな。その代わり簡単にはいなくならねえよ、安心してくれ。お前がブログ見るのやめて、3年後にたまたまログインして、その時もあいつまだ更新してるよwって存在が理想だよな。そうなっていきたいよ、俺は。


 多分、日常的なくだらないことを書いては消し、たま〜に頑張って書いた考察記事を残すっていうスタンスになるだろう。かまってちゃんみたいだけど、許せ。僕はかまってちゃんなのだ。また、ちょっとずつ、面白い(と勝手に自負できるようなもの)を書いていきたいな、書けるといいな。改めて、(読んでくれるだれかがいるかどうかは知らないが!)よろしくお願いします。この、いまぼくを通りすぎた夏風のように、ふわりとしていて、涼しくて、小気味いいものが、お届けできるといい。